TOCHIGI MARKET STORY代表が語る
トチギマーケット

第1章「ふるさと」に帰ってきて
違和感から始まった

大学入学を機に埼玉県へ移住し、8年ぶりに宇都宮へ戻ってきたとき、街に対して覚えた「違和感」。そして、「自分の街に愛すべきフットボールクラブがないのはなぜか?」という疑問からすべてが始まった。

僕がトチギマーケットを立ち上げようと思ったきっかけは、大学入学と同時に移住した埼玉県から、会社の転勤で約8年ぶりに自分が育った栃木県・宇都宮市に戻ってきたときに感じた「違和感」だったと思います。

当時、僕は日本に立ち上がったプロフットボールクラブリーグの応援にハマっていて、熱く激しい仲間たちがいるゴール裏へ通い、自分の声は必ず選手に伝わると信じてピッチに向かって声を出していました。しかし、そもそもフットボールをプレーしたことがない僕は、選手の技量や戦術などより、試合の前日からスタジアムに泊まり込んで、そのゴール裏の仲間たちと飲みながら語られる「俺たちの街のクラブ」ということへの誇りと、勝つためには何が必要か、そのために自分は、自分たちは何をすべきかということ。そのためのクラブチームとの関わり、あるいはそれを通して知る親企業、スポンサー企業、自治体、商店街などのあるべき姿、といったことのほうに大きく影響を受けていた気がします。「フットボールで勝つためには、街を、企業を、人を動かさなくてはいけない。それには声を上げる人がいて、それに賛同する仲間が大勢いれば街は動くんだ。」あの街のフットボールクラブのゴール裏の仲間には、それを教えてもらいました。

そんな僕が、転勤で「ふるさと」という街に帰ってきて、しばらくはそれまでと同じように埼玉のクラブのゴール裏でチャントを歌い、コールを叫んでいました。しかしそのうち、「俺たちの街」ということにだんだんと違和感を覚えるようになってきました。だって、そこはもう、「俺の街ではない」からです。

そうすると大きな疑問が湧いてきます。「なんで、俺が住んでいる街には、フットボールクラブがないんだろう?」「同じ税金というコストを支払っていながら、なぜ?」そう考えると、いろいろな不満が湧いてきます。ライブにも気軽に行けない。ギャラリーも、大きな書店も、レコード屋もない。そもそも人も少ないし。そう思って情けなくなってきたときに、「で、俺はどうする?」と自分への問いかけが始まりました。
それが、あの街のゴール裏で学んだことです。

第2章ゴール裏で学んだこと

応援していたクラブのゴール裏で体験した熱狂と、街とクラブとの関わり。その中で学んだ「関わり合うこと」「自分にできることをする」という姿勢。

スタジアムがない。で、どうする?一人で駅前で署名を始めた高校生をきっかけに、あの街のスタジアムは変わりました。

この試合、絶対に勝たなければならない。で、どうする?禁止されている発煙筒を焚いてでも、それまでに感じたことがないスタジアムの空気をつくって、その試合の重要性を選手に伝える。
センターラインから向こうにいるアイツらに勝つために、自分は何ができる?選手やクラブだけに戦わせるな。アイツらを仲間と呼ぶお前は、俺は、そのために何ができる?俺たちの街の戦いに傍観者になるな。お前も戦え。
それがあの街で、あのフットボールクラブのゴール裏で学んだことです。

なければつくればいい。あの街のフットボールクラブと戦い、かつての戦友たちと向かい合って、中指を立てて、俺たちの街のフットボールクラブこそ日本一、アジアNo.1、世界一だと言えるようなフットボールクラブを。
そう、トチギマーケットはそんな想いが根っ子にあって立ち上げられた会社です。

第3章一歩を踏み出す決意

クラブの立ち上げ支援から、地域と向き合うウェブ制作会社「カテル」の創業へ。想いをカタチにするための起業。

僕はその後、栃木県リーグから関東に昇格した栃木SCのサポートを始め、フロントにも加えていただきました。皆でいろいろ苦労しながら、いよいよJリーグ参入というところまで来たタイミングでゴール裏から身を引き、そこからは新井社長と一緒にリーグ申請書を作成するなど、裏方としてプロフットボールクラブの立ち上げに関わらせていただきました。

栃木SCがJリーグへの準備に入る少し前、勤めていた地方銀行が金融庁に「破綻しています」と言われました。そのとき僕は、その地方銀行で地元企業30社と共同出資し、地域の観光や特産品の情報をインターネットで発信する情報サイトの運営を行う会社を立ち上げ、そこへ出向していました。その会社には、栃木のゴール裏で知り合った仲間何人かを引っ張り込んでいたので、銀行がその会社を閉鎖すると決めたとき、彼らと独立しようとなるのも自然な流れでした。

そして、当時、まだ地方では珍しかったウェブ制作&ウェブアプリケーション専業の会社を仲間と一緒に立ち上げました。それは、地域情報サイトを立ち上げたときの、「俺たちの街って、すげぇいいとこだぜ」を世界中に知らしめてやるという想いを継いだもので、今度はそれに加えて、俺たちの街の仲間である会社やお店が、よその街の同業者と戦うとき、インターネット技術で俺たちも参加したかったからです。そのため社名は「カテル」という名前にしました。「絶対に勝てる」と信じて、「お客さまと共に戦う仲間になれる会社に」と、社名にはそんな想いを込めました。

第4章挫折と再起のリアル

仲間と始めた洋服屋の失敗。そこから学んだ商売の厳しさと、自分ひとりで踏み出した文房具屋での再スタート。悔しさを糧に、「この街の魅力を伝えたい」という想いをカタチにしていく。

会社を設立してなんとか3年を超え、「少しは軌道に乗ったかな」と思い始めた頃、フットボール仲間から「洋服屋をやりたい」と相談がありました。これが、のちにトチギマーケットへとつながる、前身の事業です。

「この街をもっとオシャレにしたい。カルチャーをつくりたい。そして、かっこいい店を通して、“俺たちの街って、実はすごくいい街だよね”って仲間たちに感じてもらいたい」。その想いに共感し、出資もし、借金も背負い、仲間たちも本気でがんばってくれました。けれど、結果的に店はうまくいかず、閉店を決断せざるを得ませんでした。理由はいろいろあります。でも、一番の原因は、自分が「商売」を甘く見ていたこと。カテルが順調だったせいで自分の実力を過信してしまっていた。そのツケは大きく、身に染みる失敗となりました。

その後しばらくは、カテルの仕事も忙しく、店の後始末もあり、新しいことに挑戦する余裕も資金もありませんでした。それでも、洋服屋を始めたときに抱いた「カッチョいい店をつくって、“俺たちの街、マジですごい”って伝えたい」という気持ちは、むしろ日に日に強くなっていったんです。

そんなタイミングで、不動産屋の知人から「バンバ通りにいい物件があるよ」と声をかけられました。使い道も決まっていないのに、思わずなけなしの資金で購入してしまいました。
とはいえ、資金も底をついていたし、カテルの仲間にこれ以上迷惑はかけられない。だからまずは、自分ひとりでできる範囲でやってみようと決めました。

仕入れコストが低く、売れなくても腐らない、けれどデザイン性やカルチャーを感じられる商品。そんな条件で選んだのが、外国製のステーショナリーを中心にした雑貨でした。そこに、洋服屋時代につくっていた栃木や宇都宮をテーマにしたTシャツも加えて。

夕方はカテルの仕事を終え、夜からお店を開けて深夜営業。土日もできる限り店番に立ちました。もちろん全然儲かりませんでしたが、それでもお客さまは少しずつ来てくれました。あるとき、お客さまが「営業時間がわからない」とメモを残してくれていました。その言葉が背中を押してくれて、スタッフを雇って、正式にオープンすることを決意。これが、トチギマーケットの最初の一歩です。

第5章変化と再編の先に見えた光

閉店と再挑戦、急成長と再編、そして“自分たちらしさ”の再確認。動き続けたトチギマーケットはこれからもチャレンジし続ける。

トチギマーケットを立ち上げると、次から次へといろいろなことがありました。オリジナルTシャツをお願いしていた会社さんから工場売却の相談をされ、購入したのでプリント工場を自社で運用することとなります。ご縁があって、すまいるプラザに生活雑貨店を開くこととなり、バンバ通りのお店はいったん閉店しました。その後、バンバ通りのお店はロサンゼルスで知り合った方に助けてもらいながら、好きなヴィンテージのシェルチェアやサイドシェルなどの輸入専門店としてリニューアルオープンしましたが、なかなか成果が出ず、数か月で閉店。その後、すてきなスタッフとの出会いがきっかけで、現在のトチギマーケットのスタイル、つまり栃木系デザインのTシャツと地元のインディーズ音楽専門店としてリニューアルしました。

ようやくそのお店が落ち着いた頃、知り合いの方に頼まれて、宇都宮市街を中心に婦人服など13店舗のアパレルショップの運営を引き受けることになりました。スタッフ数も数名から一気に60名を超える規模となり、しかも大手アパレルメーカーの代行やフランチャイズの経営、百貨店テナントの管理など、それまでに経験のなかった仕事にも挑むことに。

日々の業務にがむしゃらに取り組んでいた中、福島沖地震が発生。郡山の店舗は閉店を余儀なくされ、それを機に店舗の再編を行い、宇都宮パーリーゲイツを現在の県庁前に移転。他の店舗は若手経営者に譲ることとし、事業をトチギマーケットと宇都宮パーリーゲイツの2店舗に絞ることとしました。事業が整理され、自分たちらしいスタイルを見直していたタイミングで、以前から信頼していた経営者の方から「駅東口にできる商業ビルに出店しないか」と声をかけられました。迷いながらも、その誘いに応じたのは、「もう一歩先へ進みたい」という想いが自分の中にあったからです。

それが、今の「トチギマーケット・ウツノミヤテラス店」となっています。トチギマーケットは、その後もECやふるさと納税への参加、地元企業さまとのタイアップや特産物のリニューアルプロジェクトと、今も新しいチャレンジは続いていますし、今後もチャレンジし続けていきたいと思っています。

第6章関わりの中で育まれる力

人との関わりが力をくれた。出会い、支え、挑戦が連鎖して、トチギマーケットはカタチを変え続けていく。

「リアルに街で商売をするって、しんどいこともあるけど、やっぱり面白い。」
洋服屋の失敗、文房具屋からの再起動、60名を超える会社への拡大と事業規模の縮小。たくさんの出来事があったけど、変わらないのは、「この街を、元気に、楽しく、カッチョよくしたい」という想いと、「この街が、この街の人が大好きだ」ということです。

そして今、ふり返って思うのは、事業が少しずつ育っていくなかで、僕たち自身も変わっていったということ。何かを始めるたび、必ず人と出会い、関わりが生まれ、それが次の一歩のきっかけになってきたということ。トチギマーケットの歩みをふり返ってみると、いつも誰かとの関わりの中にありました。

最初の一歩は、ゴール裏の仲間と始めた洋服屋でした。そのお店はうまくいきませんでしたが、その悔しさを理解してくれて、もう一度がんばれと背中を押してくれたのは、そのお店の場所を貸してくれていた先輩社長でした。
文房具屋として再スタートしたときも、毎日のように顔を出してくれるお客さまがいて、営業時間が分からないとメモを残してくれた方がいて、だからこそ「もっとちゃんとやろう」と決意できました。

そこで「働いてみたい」というスタッフが現れ、初めて“チームで商売する”楽しさを知ることになります。
プリント工場の話を持ちかけてきた取引先。苦しいときに頼ってくれたアパレル事業の経営者。地震のとき、閉店を決断したとき、うまくいかなくて落ち込んだときにも、「なんとかなりますよ」と言ってくれる仲間が必ずそばにいました。そうした人々との関わりが、次の挑戦への原動力となってきたのだと思います。

第7章「わ」の力

輪、和、WA(Wonder and Amaze)。
さまざまな「わ」が重なり合い、街に彩りを生む力となっている。

トチギマーケットは、決して一人の力でできたものではありません。そんな風に、人との関わりの中でカタチを変えながら続いてきた会社です。叱られたり、笑ったり、助けられたり。共に泣き、語り、挑んでくれた仲間がいたから、今も続いています。変わらないのは、いろいろな人との関わりの中でトチギマーケットは変化しながら続いてきたということ。確かに良いこともあれば、悪いこともありましたが、リアルに街で営業するということはそういうことなんだろうな、と。

そしてもっと変わらないのは、「この街を、元気に、楽しく、カッチョよくしたい」という想いと、「この街が、この街の人が大好きだ」という想い。だって、ここは僕が生きる街だから。そのために、自分に何ができるかを考えて、行動するのは当たり前。でも、それだけでは足りない。あの街のように、熱を持った仲間が集まり、同じ方向を向いてこそ、本当の力が生まれる。だからこそ、僕たちは“人との関わり”に向き合い続けてきました。でなければ、あの街のフットボールクラブのゴール裏の連中がいるあの街に、僕たちの街が勝てるわけがない。

トチギマーケットは、日々の出会いや会話、小さなやりとりが積み重なって育ってきました。特別な仕掛けや大きな資本があったわけではありません。でも、そのかわりに、信頼や熱量、やさしさといった“見えない力”がありました。そして、その想いややさしさを、僕たちもまたお店や会社の活動を通して誰かに手渡していこうと思っています。この“関わりのリレー”こそが、トチギマーケットの土台であり、これからも育てていく“わ”なのだと思います。それらのつながりは、単なる“輪”ではなく、いくつもの「わ」が幾重にも重なりながら、今もカタチを変え、広がり続けています。

それぞれの「わ」が折り重なって、互いに響き合いながら、トチギマーケットの今をカタチづくっています。そうやって広がっていく“わ”こそが、僕たちの最大の強みであり、希望です。そんな想いに共感してくれるあなたと、これからの「わ」を一緒につくっていきたいと願っています。

僕たちが掲げる「あたらしい『わ』」。「輪」、街や人とのつながり。「和」、お客さまやスタッフとともに協力し合い、調和のある形でビジネスを育てていくこと。そして「WA=Wonder and Amaze」、思わず驚きやワクワクを感じてもらえるような企画やデザインを、これからも生み出していきたいという願い。 それぞれの「わ」を重ね合わせて、もっと面白く、もっと美しく、この街に彩りを添えていきたいと思っています。

第8章あたらしい 「わ」 を、 あなたと

これからも関わりの中で「わ」を重ね、この街をもっと楽しく、元気にしていく。
その未来をあなたと一緒に。

「わ」が日々交差し、重なっていく舞台。僕たちがその中心に選んだのが、この栃木県という場所です。そして、その「わ」を重ねていく舞台が、僕たちにとってはこの“街”です。

もちろん、大都会・東京で働くことにも魅力はあります。でも、この街で働くことには、東京とはまた違った、かけがえのない価値があると僕たちは信じています。顔が見える関係の中で生まれる信頼、街の空気や景色が少しずつ変わっていく手応え、そして何より、誰かの暮らしのすぐそばでリアルに役立っているという実感。自分の企画やデザインが「ありがとう」の一言で報われる瞬間や、街のイベントに出て「あのTシャツ、着てますよ」と声をかけてもらえる嬉しさ。それが地域で働くということの、確かな豊かさです。

暮らしと仕事が地続きであることの心地よさ。家族や仲間との時間を大切にしながら、自分の「やりたい」をあきらめない選択肢。そんな働き方が、ここにはあります。そして、僕たちのようなローカルビジネスには、大企業では得られない“街と共に生きる”という実感があります。

この街を、もっと好きになる仕事。もしよければ、一緒にトチギマーケットで新しいチャレンジを始めてみませんか?あなたのチャレンジを、今度は僕が、仲間が応援します。